5

28








あのクリームパイ
これまた帰国後わかったことだが、けっこうこのパイ関係はうまいと評判らしい。

 ディミットラにコーヒーをもらってから、握手をして名刺をもらってバイバイした。いろいろ邪推してきたが幸いにも只の賑やかなおばはんでしかなかった。
 桟橋で再びあのクリームパイを2つ買い求める。やっぱりこれはうまいぞ。何やら団体さんらしき人たちがたくさんいるので、まさかこの人たちと同じのに乗るわけではなかろうと思ったけれど、一応タイムテーブルを確認する必要がある。やはり我々が乗るのは10時の便だが、さらにその添乗員らしき人物に訊いてみると、我々とは違う方面に行くらしい。
 のんびりと2個めのパイを喰い終っても、団体さんは乗り込んでいない。じゃあ、今ここに浮かんでいるフライングドルフィンはどこ行きなんだ?そろそろ10時になろうかというのに…、もしかして乗り場が別なのか?不安になって時刻表をもいっぺん見に行くと漸く水しぶきをたてて黄色い船体が現れたのでホッとした。

ΨΨΨ

 チケットを見せると「ノーモネムバシヤー」の一言とともにタラップを降ろされてしまった。おかしい。もう10時はとうに回っているのにどーゆーこっちゃー。外国の常識その1『時間なんかあってないようなもの』がやはりここギリシャでも適用され、このまま待っていればよいものか、はたまた乗り場が別なのか…でもここより他に桟橋なんぞなさそうだし、も〜リンダ困っちゃうとやっていたら、来ました来ましたフライングドルフィン、。よかったよかった。

 風はきついようだが、アテネからポロスに来た時ほどは揺れなくて快適と言ってもよいくらいだ。今日は一番前のキャビンでしかも前から2列目に座っている。パノラマで海・空・島が堪能できる。この部屋には他に4・5人しかいないのも貸しきりみたいで嬉しくなってしまう。点々と港によりながら進んで行く。さすが海運国、船が人々の足になっているらしい。なーんちゃって(死語)。
 ミシュランギリシャ篇で調べて、あと1時間半くらいはかかりそうやねぇなどと話していると、近所に座っていたおじさんが「今日は天気が悪いからレオニディオで船を降りてタクシーに乗らないといけなくなったよ」というような意味のことをのたまう。天気が悪い?どこが?すこぶる快晴じゃあ〜りませんか。例によって2人で3分の1人前の英語力だから、聞き間違いじゃろかと顔を見合わせていると「嘘だと思ったらあのクルーに聞いてみなされ」と言う。
 「そうなんだ」とクルーはあっさり肯定した。「どっちにしろ、この船会社がタクシー代を出してくれるからノープロブレム。オレもモネムバシヤに行くから教えてあげるよ」と心強い言葉をかけてくれる。タダなら確かにノープロブレム、よっしゃよっしゃ。雨でも雪でももってこい、である。ご近所のおじさんおばさんも「そうだそうだ、わしらもレオニディオで降りるんじゃよ」と賛同した。

ΨΨΨ

ジェット7
海水を吸い込んで勢いよく吐き出す方式で動く。極端に揺れが少ないと言われている。
が、00年10月12日から五島産業汽船の「びっぐあーす」という船にかわってしまった。

 さてレオニディオに着くとクルーおじさん(クルーといってもこの船のクルーではなさそうだ。どこか他でクルーをしているらしい)が合図しつつ、恐らくイッチョウラの入った衣装カバンを持って立ち上がるので、我々もそれに続く。
 タラップを降りると何故かみんなそこで船の方を見ている。
 見るとキャプテン(勤続38年)が「モネムバッシヤー!モネムバッシヤー!」と大声で戻ってこいという手をする。そのへんのおじさんにモネムバシヤ?と言いつつ今降りた船を指差すと、うんうんとうなずくからいよいよ間違いない。なんや一体、人騒がせやのーと逆戻りした。
 クルーおじさんもすでにして船内の人になっている。テが中に入ろうとするとスチュワーデスのおねーちゃん(ちょっと太め)に「エクスキューズミィー、チケットショウミー」と言われている。見せるとOKと言って中に入れてくれた。なんでわしには言わんのだ?もとの座席にもどり「茶番は終った」そっとつぶやいたのであった。

 しかし茶番は終っていなかった。
 初めのうち穏やかに進んでいた海路は2つめの港を過ぎたあたりからモォーレツな揺れに変わっていった。天候が悪いというのはこのことだったんだ。
 空は快晴だが風が強いのか波が凄まじい。ふだん瀬戸内海のぬるま湯のような揺れしか経験したことのない身にはこたえる。羽があったらこのまま離陸しかねない角度だ。と思った次の瞬間には海面に叩き付けられる。こんなギリシャにこそ見かけ倒しのフライングドルフィン(たしかにフライングしとるわ!)より、関西汽船および加藤汽船のジェット7を運行していただきたいと切に願うのであった。こんなに騒いどるのはわしらだけかと思ったが前の旅行者らしきドイツ人っぽいアンチャン2人組も目を丸くしてワーオとか何とか言っている。「これならタクシーのほうがよかったー」大声でテが泣き叫んだ。

ΨΨΨ

モネムバシヤ、フカン図。手前が新町で、まん中の△のウラが旧町とまぁこんな感じです(2002カレンダーより)

 断崖絶壁そそり立つモネムバシヤ──、聞きしに勝る地のハテ山のハテ。港(はたしてこれを港と呼んでいいのか?)にはチケット売り場もなければ店も出てない。橋を渡った右側にはこれまでよく目にしていた白壁赤屋根の新しそうな町。左に見えるものはモービル石油のスタンドと巨大な岩のカタマリのみ。そのカタマリの上にかすかに城壁のようなものが見える。
 モービル石油の近くまでくるとタベルナがあった。こんなところに何でこんなに人がおるん?と思うくらい超満員の大繁盛。今まであった頭の中のぐるぐると、この楽しそうな雰囲気とのギャップに戸惑う。ちょっと落ち着くためにも何か食べようかと言ったが、残っている席は日なたばかり。一緒におりたアンチャン2人組はさっさとタクシーでダンガイの方へ行く。それなら我々も…とタクシーに乗ってしまった。320だったが500払うと100のお釣。
 たいした距離ではなかったが日中この荷物ではちときつかったかもしれない。目の前には洞窟と言ってもいい位の小さいトンネルがある。どうやらここから先は車は入れないようになっているようだ。ジグザグにその薄暗いトンネルを抜ける。うへー、こんな所に町が!みんな岩をくりぬいたような家で狭い石畳の道、まるでロールプレイングゲームに出てくる村みたいだ。こりゃ1本とられたわい。

ΨΨΨ

 Room To Letという看板、カフェ、アクセサリー屋と立派な村になっている。ホテルインフォメーションの看板は見かけるけど、どこにもホテルらしい建物は見えない。ほんまにこんなとこにホテルがあるんかい。んー、よーわからん。試しにMalvasia hotel INFOMATIONと書いてある洞窟の家(部屋か?)に入ってみる。誰もいない。奥に部屋もなさそうなので、しばらくして出直したら、おねーちゃんが電話をしていた。「カリメーラ」と言いつつ入ると電話しながらおじぎをしてくれる。電話を切ってくれたので「ヘヤアリマスカ」と聞くと「イエス」と言ってからそのかなりトラディショナルな電話をジーコジーコと回しだした。

ΨΨΨ

 電話のダイアルにカギをして、メモ帳を1枚破る。何か書いてくれるのかと思ったら、水の入ったコップの上にそれを置き、静かに立ち上がる。着いてきてという顔をして彼女はユラユラと歩き出した。教会のある少し開けた広場をぬけ、再びつるつる滑る石の道。相変わらずユラユラ歩いている。もう村の端っこまで来てるようなのに、ホテルはどこにあるのか…と考えていると先ほどのアンチャン2人組が、ワーオという顔をしてそこの家のベランダに出てきた。???
 これがホテルか──?
 少し進むと、また別の家の前にいるおばさんにバトンタッチしてユラユラ少女は帰って行った。
 「大きな部屋、小さな部屋。12500と10000」そう言っておばさんは海側にある家のドアを開ける。窓を開けると海が見える。暖炉まである。ワーオである。もう一軒は山側にあった。こちらが小さい方で味はあるが窓がない。ケッコン記念日の翌日でもあることだし大きい部屋にした。うーむ、立派である。部屋にレーゾーコまである。トイレ・シャワーも地形に合わせて段々になってかなりラグジュアリーである。天井はハリがむき出し板ばりで、壁は石、床は大理石ジュータン敷き。こんなゴーカケンランな部屋に泊ってもいいのだろうか?と少し自責の念にかられているのは私だけだった。

ΨΨΨ

 それはそうとハラヘリなので何か喰いたい。
 少し歩くと先ほどは気づかなったけれど、いろいろ目立たないように看板が出ている。FOOD MARKETというのを見つけたので指示に従って進む。階段を下り、まるで廃虚のような所を通り抜けしていると、予想通り道に迷った。どの家も廃虚のように見える。我々のホテルだって知らなければ廃虚とも見える。しかし腹は減っている。
 メインストリートにあるお菓子屋兼カフェに入る。ドイツ語圏の人がいっぱいいて中々注文をとってくれない。しかしこんなに沢山の人がどこに潜んでいたんだ?それはともかく愛想のいい奥さんでソーリーと言いながら注文を聞いてくれる。アーモンドのお菓子、アイスドコーヒーウイズオンリーミルク、サンドイッチスペシャル、レモネードを頼む。少し甘過ぎの感はあるがアーモンドのお菓子はうまかった。
 再びフードマーケットの看板を追跡する。今度は慎重に。そこはまさに洞窟の中にあった。これじゃ分からない筈だ。さっきは休憩時間か何かで閉じていたから見つからなかったに違ない。水とバナナジュース、どんぐりみたいなスナック菓子770を買って部屋に帰った。

ΨΨΨ

 E.O.Tの看板を追跡する。
 E.O.Tというのは国営のトラベルエージェントのようなもので、ここの看板を掲げているホテルは信用できる・・・とものの本に書いてあったような気がする。もしかしたらもっと安くてよいホテルがあるかもしれない。偶然この看板を見つけたから、これ幸いと辿ってみたが、そこはただのホテルだったし、中もしょぼくれている。やはり今のマルバシヤホテルは相当いいホテルなのかもしれない。
 再びユラユラ少女の洞窟でクレタ島行きの船はいつあるのかを訊いてみる。やはりもの静かに電話のカギをはずしジーコジーコしてくれたが、今休みなので分らない。なんだったらニュービレッジ・ニアー・ザ・ブリッジのモービルステーションで訊いてくださいと教えてくれた。やれやれ歩いて30分はかかるという道のりを行くとするか。
 途中で巾が車よりも広いんとちゃうかと思えるようなDマークのチョッパーバギー(後2輪は超極太)を見かけ、まじまじと眺めてとぼとぼと歩いた。頂上の岩が今にもズレ落ちそうやなぁと危惧しているとバリバリバリリンとさっきのチョッパーバギーが戻ってきた。もしかしたら乗せてくれるかもと1台目ヒゲづらに手を振ってみる。そのまま通り過ぎ2台目あんちゃんは手を振ってきたが乗せてはくれなかった。

ΨΨΨ

 モービルステーションに着くと店の窓には船の時刻表が貼ってあった。そーかそーか、やはりここが全てをまかなっているのか。
 [月]21:30ごろ→[火]朝着
 [金]22:30ごろ→[土]昼着
 の2本しかない。最低3500から。中に入るとじーさんばーさんにヤパニヤパニと言われ、おばさんにトーキョーに友人がいる、グリースは好きかと訊いてくる。やれやれどこに行ってもこれだ。いいかげんイヤになってくる。きらいだと答えたらどうなるんだろうか。
 橋を渡って新町へ。のどカラカラなので水とレモネードらしきもの250を買う。うまい。郵便局やホテル多数を発見。2泊くらい今のホテルにしてあとの3泊はこっちのほうがいいのではないか?とさりげなく主張してみた。戻り道、歩いて帰るユラユラ少女その他2名に会った。

ΨΨΨ

 とりあえずディスカウントプリーズもしくはチーパーアナザーワンの交渉をしてみることになった。
 インフォメーション洞窟に行くとじっさまと若い衆の2人組がいる。置いてあったのをもらったチラシを見せて、このような安い部屋はないのかと言ったつもりが、すぐさま「なに!あの超デラックスルームにあと4日も泊ってくれると言うのか!空いているか確認しなければいかん」と電話をかけだした。ちょっと待てジャストモメントと言ったではないか!早合点しまくりだぞ!
 フランス語はいけるかと言うのでテの出番だが、全く向こうの早飲み込みばかりでラチがあかない。名詞の羅列+筆談をすれば、これ以上安い部屋は空いていないから今の5号室に5日間泊るんだなよしわかった、ジーコジーコとダイアルを回しだす。ノーノー違う違う。しどろもどろで電話を切って、じゃあ、5日間泊ったら割り引きはあるのかと訊いたつもりでも、ノープロブレム部屋は空いているの一点張りでいよいよ始末におえない。
 再び筆談で12500×5=62500と書いているのに→42500?と書くと、若い衆はなんじゃこりゃみたいな顔をしてじっさまを見る。じっっさまが出てきて渋い顔をしながら60000と書き直した。ちょっと考えると言って、ブツブツ相談するフリをしたが、それ以上はまけてくれそうになかったので、まー、ケッコン記念日の翌日やしよかろうとOKを出すと、2人組はニカニカっと喜んだ。

モネムバシヤ
モネムバシヤと表記しているけれど、モネムバシアが正確かもしれない。ギリシャもギリシアかもしれないし…。
ちなみにマルバシアというのはその昔、ベネチアがここを統治していたとかという頃のローマ字読みからきているとかと云うことらしい。曖昧でスミマセン。

ΨΨΨ

 さー、これからはしまつしまつと思ったけれど、ケッコン記念日の翌日だからタベルナに入った。
 そのインフォメーション洞窟からわずか2・3軒のところにある。愛嬌のあるおばさんで、いろいろ説明してくれながらメニューを決めた。チーズフライ(サガナキというらしい)、トマトサラダ、いんげん豆のトマト煮、ハイネケン1本。このところ毎日ビールを飲んでいる。テはえらく喜んでいる。2550のところ50まけてくれた。チップを置こうとしたら、イヤイヤいらないわよと言っておばさんはハラをぱーんとたたいた。

(c)1995-2002 HaoHao

前にもどる  次にすすむ  ギリシャ篇メイン  メインページ